「電話をもらった時、驚いた」
家に来てくれた知人は穏やかに言った。
友だち、と言っていい関係性だろうか。
恋人ではないのは確かだ。
あたしは好きって言ったことがなかったし、知人も言ったことがなかった。
高校時代は「付き合っているの?」とは周りから質問されたけど、キスとかしたいと思ったこともなかった。
「仕事中だったから?」
あたしは温かいお弁当と冷たい紅茶のペットボトルを前に尋ねた。
実用性重視のローテーブルのはじっこに、有名なコンビニの名前がプリントされている。
「メールじゃlineじゃなかったから。
しかも泣いていたから」
知人は自分のカバンからスマホを取り出してローテーブルの上に静かに置いた。
それほど大きい音がしたわけじゃなかったけど。
あたしを責めているような気がした。
「メーワクかけた」
あたしはお弁当を食べる手を止めた。
コンビニ特有の割りばしが重たい。
「いいよ。
一番に頼ってもらったわけだし。
持ちつ持たれつつで」
気負いなく知人は言った。
その表情と口調が高校時代からおんなじ。
人畜無害、というか。
安心しきっちゃう。
「食べ物を買ってくれたし」
「食べているトコ見て安心したよ」
「食い意地張っていて悪かったわね」
あたしは冷たい紅茶のペットボトルを開ける。
まだ水滴がつく前で、手のひらがひんやりとする。
「ホント、ダメな時って食べられなくなるから。
その前に呼んでくれて助かったよ」
知人の声のトーンが落ちる。
あたしの散らかったままの部屋にポツンと。
「体験談?」
「経験談」
「知らなかった」
あたしはペットボトルの紅茶を口にする前に、止まってしまった。
割と何でも話してきた相手だと思っていた。
人見知りの激しいあたし相手に知人は気長に付き合ってくれた。
それに甘えている自覚もいっぱいある。
「話したことなかったし。
自慢話にもならないでしょ」
「ゴメン、訊いちゃって」
あたしは色々頼りすぎだし、色々知らなさすぎると思った。
知人に寄りかかってばかりだ。
「もう過去だし」
「思い出さない?
嫌なコトって」
「うん、まあ、多少は。
そういうのも含めて『今』の自分だし」
知人は微笑みながら言った。
自分用に買ってきたと思われる炭酸飲料のペットボトルを開ける。
開封する時に独特の音がした。
爽やかで、駆け抜けていくような風の音。
「前向き」
「後ろ向きだよ。
充分にね」
知人は気にせず言った。
一応は客が来たのにもお茶すら出せないあたしは赤点だらけの答案用紙を持っている。
今、食べているお弁当のお金すら払っていない。
「どうやったらそんな強くなれるの?」
「弱いだけ。
傷つくことも、傷つけるのも苦手なんだ。
そして、また他人を傷つける。
優しさって何なんだろうね?
自己満足なのかな」
あたしの質問に哲学書みたいな答えが返ってきた。
難解すぎて最初の一ページどころか、タイトルだけ見ただけでスルーしちゃう。
そんな本みたいな。
「それで良くない?
あたしは救われているし。
独りだったら詰んでた」
あたしは何もできないってわかったばっかりだ。
高校時代からつるんでいるのに、知人のことは何も知らない。
「頼ってくれて嬉しいよ。
自分にも価値があるって思えるし」
「私よりも世間に貢献しているじゃん」
兄弟だって他人の始まり。
というように、一人っ子だからわからないけど、目の前にいるのは赤の他人なのは間違いない。
理解しようと思っても理解しきれない。
「カルピスの原液を飲みたくなるタイプだから」
「意外」
「薄くなった分だけ、愛情とか、評価とか。こんなのものかって思う」
あたしも小さい頃に、カルピスの原液を飲んだことがあるけど、そのまま白い痰になって出てきた。
それにビックリしたお母さんがあわてて、病院に連れて行ったことぐらいは覚えてる。
「ペットボトルのカルピスウォーター飲めないじゃん」
「マズくはないんだけどね。
美味しくはないかな。
個人的な嗜好の話だから気にしないで」
「過去のあたしを殴ってきた方がいいかも」
本当に思った。
少なくとも電話なんてかけるべきじゃなかった。
「そういうのはいいから」
「キャラに合っていない?」
あたしは訊いていた。
卑怯な質問だった。
答えは一つしかないから。
「いや似合いすぎて最高のキャスティング」
「最優秀女優賞、取れそう?」
「すでにノミネートされてる」
「嘘泣きじゃなかったけど」
演技で泣いたわけじゃない。
本当に弱音がボロボロと零れて心が決壊した。
気がついたら目の前の知人に電話をしていた。
「電話一本で駆けつけさせるのはプロでしょ」
「女優とガチ恋するの?
アリよりのナシ?」
「さぁ?」
知人の男性は穏やかに笑う。
けむに巻くというヤツだ。
高校時代からこの距離感覚は変わらない。
コンビニ弁当の温かさも。
冷たいペットボトルの紅茶もちょうど良かった。
きっと、これから先もこんな感じなんだ。
それがあたしにとって安心できるものだった。