ホウチョウとメイワの会話。
建平三年以前。
木々は葉を落として、冬支度を終えたようだった。 天に向かって懸命に伸ばされた細い枝が、からからと乾いた音を鳴らす。 風は甲高い悲鳴のような声を、思い出したように上げる。 窓に近づけば、肩をちぢこめるほどの寒さだった。 大切に育てなければ枯れてしまう花の名を持つ少女は、そんな窓辺に椅子を引いてきて、長いこと座っていた。 落葉を集めて染めたような赤い裳の上には、刺しかけの布地が広がっている。 縫いあがれば舞う巨鳥が見られることだろう。 「ねえ、メイワ」 ホウチョウは尋ねた。 夢から覚めたばかりのような響きを宿していた。 少女の傍らで、刺繍をしていた奥侍女は顔を上げる。 赤瑪瑙と讃えられる双眸は、窓越しに院子を見つめ続けていた。 「メイワは、どの季節が嫌い?」 「そうですわね」 問われた奥侍女は微笑んだ。 布の端に縫い針を刺し、メイワは考える。 「どの季節も同じように見えて、決して同じではありません。 去年と今年では、違う花が咲いています」 「誰の受け売りかしら? 雛兄様? それとも伯夜?」 「何故、伯夜様だとお思いになられたのですか?」 「違うの?」 赤瑪瑙の瞳が窓からメイワに移動する。 目には、磨かれた玉のような透明感が存在していた。 温度もなく、感情もなく、純粋に美しいものとして、在った。 「残念ながら」 メイワは苦笑した。 「そう、残念ね。 面白そうだと思ったのに。 伯夜とメイワが結婚したら、露禽はどんな顔をするかしら?」 少女は微かに笑みを浮かべた。 「……この通りの姿でございますから、お眼鏡に適わないかと」 メイワは言った。 シュウ家の当主露禽の妻は、仙女も霞むほどの美しい女人と噂であった。 嫉妬深い露禽が妻を外に出すことは稀ではあったけれども、見た者すべてが噂にたがわぬ方だというのだから、人並外れた美貌の持ち主であろう。 一方、メイワは美人という範疇から大きく逸脱していた。 歴代王朝に妃を差し出してきた華やかな美女の家系の長子として、姓を名乗るのもはばかられるほど。 「じゃあ、雛兄様?」 「姫が聞き覚えのないことを、私が知っているはずがないでしょう」 メイワはホウチョウの話し相手であり、学友として選ばれた奥侍女なのだ。 ただの行儀見習いではない。 幼いころは、同じ教師に付き、机を並べて、世のことを学んだ。 年頃になってからは、メイワはホウチョウの手本となれるようにと女性らしい振る舞いと教養を詰めこまれた。 ホウチョウが成人した今は、侍女のように仕えているが、それも少女の気まぐれのせいだ。 長く勤まる若い侍女が少ないための仮の措置だ。 「私が眠っている間かも知れないわ。 雛兄様の話は長くて、退屈だったのよ。 ……」 楽しげに話していた少女の表情が曇った。 誰かの名前を挙げようとしていた唇が、硬く閉ざされる。 真一文字に結ばれたそれは、まるで泣くのをこらえる仕草のようだった。 メイワはためいきを胸の奥でつく。 主の唇が誰の名を綴ろうとしていたのか。 わかってしまった。 一緒にいた歳月の分だけ、メイワの心にも悲しみが圧しかかる。 曇り空の下で見る影のように、存在感が希薄な少年の小字。 シャオ。と。 呼ぼうとしたのだろう。 今は、ここにいない。 明日になっても、戻ってはこない。 いつまでも、同じ空の下にいられるとは限らない。 そんな幼なじみの少年を思い出してしまったのだろう。 シャオがいなければ、もっとつまらなかったと思うわ。 そう、少女は続けようとしたのだろう。 「教えてくださったのは、鴻鵠様です。 春が何度巡ったとしても、同じ花は二度と咲かない。 一度きりだ、と」 この場ではふさわしくない話題に感じたけれども、メイワは答えた。 当時、内政の官だった鴻鵠は語った。 幾度春が巡り来ても、あの春は還ってこない。 亡き妻を偲んで零された言葉だった。 「ですから、私は一度きりなら、全部を大切にしようと思ったのです」 メイワは言った。 「そう、素敵ね。 私は冬が嫌いだわ」 ホウチョウは言った。 胡蝶が舞うこともできず、花薔薇も枯れる季節。 それでも十六夜の月は冴え冴えと輝くことができる。 ふんわりとした甘い印象の少女が、とても優れた容貌を持っていることを知らせる刻だった。 ガラスの切片のように、ホウチョウは笑む。 「良い思い出が少ないんですもの」 父が喪われ、日常が失われた。 それが冬だった、と少女は笑みの中に漂わせる。 「では、良い思い出を作っていきましょう。 他の季節に負けないほど」 メイワは笑顔を作った。 寂しさや悲しさや諦めからではない。 もっと、明るい笑顔を浮かべる。 「前向きね」 「姫には負けますわ」 「そうかしら?」 ホウチョウは小首をかしげる。 「ええ、歴史の教師の方がおっしゃっておりましたわ。 『過去にあったことを学んでも活かせなかったら、何の価値もないじゃない』と。 そう言ったそうですわね」 「メイワは耳が早いのね。 まだ数刻も立ってないわ。 雛兄様だって、知らないんじゃないかしら?」 先生が告げ口してなければ。と、少女は付け足した。 「思ったとしても、これからは歴史の教師の方にはおっしゃられないように」 「はしたないから?」 「他人を困らせるのは、褒められた行為ではございません」 「その時に思ったことを口にしただけよ」 ホウチョウは無邪気に言った。 「姫に悪意があったとは思っていませんわ。 ですが、姫の言葉を曲解する方もいらっしゃいます。 立場というものもございます」 「面倒ね」 少女は言った。 思ったことをそのまま唇に乗せただけだろう。 残酷にも、冷淡にも、我儘にも響くはずなのだけれど、ホウチョウが口にすると可愛らしく聞こえるのだ。 歴史の教師も困った方だと言いながら、笑っていた。 「こらえてくださいませ」 メイワは言う。 「ええ、我慢するわ。 …………ちょっとだけ」 ホウチョウは楽しげに言った。 少女の背の向こう。 幾何学模様の格子がはまった窓の先には、風に震える枝が見えた。 冷たい風にさらされて、今にも折れそうな細い枝が……メイワの目に映った。