並木空の記憶録

「紅の空」の管理人2の備忘録

 メイワさんと伯夜さんの話です。

 チョウリョウの太師、露禽といえば棋の名人であった。
 若き頃は奇抜な派手好みであったが、歳とともにその腕前は秋の時分の月のように冴え渡り、今では皇帝陛下の指南まで勤めている。
 もっとも当の陛下は棋はたしなむ程度で、生きた人間で行う陣取り合戦のほうが得意であった。
 第一、続々と納められる美姫の扱いに難儀している有様なので、自然と露禽が棋の教え子が妹公主となるのはいたし方がないことなのかもしれない。
 十六夜公主と呼ばれるホウチョウは、昼下がりに露禽から棋を習う。
 茶と菓子が用意されたそれは、和やかなお茶会のようだった。
 そして、後宮では密やかに噂が一つ広がるのだった。
 露禽の供としてついてくる嫡子の伯夜と奥侍女のメイワの。


 碁盤越しに伯夜とメイワは向き合う。
 勝負はすでについており、片付けるわけではなく、石はそのままに置かれていた。
 緑陰の中でも、明暗はくっきりと残る。
 黒も白も譲ることなく、存在していた。
「そろそろ蓮も終わるころですわね」
 メイワは微笑んだ。
「女性というのは花が好きなのだな」
 どこか不思議そうに、伯夜は言う。
 家柄と持って生まれた容貌ゆえに、後宮中の女性の視線を集める青年は、無頓着にメイワに笑いかける。
 伯夜は戦場に立たないせいか、荒々しくない雰囲気を身にまとっていた。
 それでいて、文官たちが持つような陰りを持たない。
 苦労を知らない育てられ方をした、良家の青年らしい青年だった。
 実家と鷲居城しか知らない女性が夢中になるのも、わからなくはない。
「ええ、殿方よりも美しいものが好きなようですわね。
 花を見ていると心が華やぎませんか?」
「毎年咲くものだ。そして、枯れる」
「そうですわね。
 だからこそ、美しいのでございましょう」
 メイワは視線を転じる。
 季節は夏。
 去り行く夏である。
 もっとも華やかで、もっとも熱い色に花が染まる季節だった。
 ここよりは愁う色合いがしのびやかに迫ってくるのだから、やはり壮絶な美しさであった。
「花は所詮、花だ。
 実を結ぶために存在しているだけだ」
 青年は事実を無骨に告げる。
「お嫌いですか?」
 メイワは伯夜を見た。
「……考えたこともなかったな。
 女性というのは不思議な考え方をしている」
「伯夜殿から見れば、誰もが不思議な考えを持っていることになるのでしょうね」
「花を好きか、嫌いかと言われれば、わからない。
 どちらでもないが正解だな」
 伯夜ははっきりと言った。
 メイワが城に上がってから、もう何年になるのだろうか。
 幼なじみと言っても良いような青年は、物事を断言しすぎる傾向にあった。
 他人の話を聞かない父を持てば、子どもはこうなるのかもしれない。
「蓮というのは特別な花だろうか?」
 伯夜は尋ねた。
「さあ」
 メイワは言葉を濁した。
 噂話の範疇であれば、蓮には物語が絶えない。
 翼夫人が侍女であった頃の名がそうであった、と。
 茶とも緑ともつかない瞳の少年が、それに因んだ名であった、と。
 皇帝陛下が好む花がそれである、と。
「ただあのように咲く花は、珍しいですもの。
 強く心に焼きつく花であることは、確かですわ」
 最も苛烈な季節に、泥の中で咲く花。
 自己主張の強い花だった。
「メイワが好きだというなら、家に咲く花を一株譲ろう。
 何色が好きなのだ?」
 あっさりと伯夜は言った。
 色素の薄い目を丸く開いて、メイワは息を飲み込んだ。
「お気持ちは大変嬉しく思いますが、こればかりはご辞退させていただきますわ」
 何でも知っている年長の男性が、『うっかり』と口にしたのは驚きの言葉だった。
 色事師と呼ばれた父を持っているというのに。
「ああ、なるほど。そういうことか。
 蓮に魚か。
 古い詩だな」
 舟を出して蓮を取る。
 そこには蓮と戯れる魚がいる。
 恋人を探す暗喩となり、蓮は恋人に贈る花の一つに挙げられている。
「侍女には必要な知識ですわ」
 主と同等の教養を求められるのが奥侍女だった。
 幼い主君を導くために、遊び相手として、勉強相手として、付けられる。
「他意はない。
 無駄に咲いているから、一株ぐらい減ったところで父上も気づかないだろう」
 伯夜は言った。
「いけませんわ。
 それは太師が奥方のために、植えられたに違いありませんもの」
「気にする母ではない」
「伯夜殿の未来の奥方が気になさるでしょう。
 結婚前に浮名を流すのは、ほどほどにいたしませんと」
 メイワは微苦笑した。
 強固な婚姻を結ぶチョウリョウであっても、例外は存在する。
 それゆえの後宮。
 花園は、隠れ蓑にはちょうど良い。
 妙に働き者の蜜蜂が、あちらこちらの花粉をまとうこともある。
「私は別にメイワでもかまわないのだが、運というものだな。
 あの父とあの母と上手くいく妻であれば、誰でもかまわない」
 花嫁探し中の青年は言った。
 チョウリョウを支える柱の一つ、習家の嫡男。
 幼い頃からの婚約者がいてもおかしくはない家柄だったが、女親の方針で決まっていない。
 政略的ではなく、心から配偶者を見つけて欲しい。
 そんな切なの願いがこもっていることを、消息通であれば知っていることだった。
「正式にお決めになりましたの?」
「母に任せてある」
 伯夜は簡潔に答える。
「それで良いのですか?」
「私は仕事があるから、家を空けることも多い。
 一緒にいる時間は短いだろう。
 母と円満な関係を築けるというのならば、それでもかまわない。
 それに……」
 伯夜は苦笑らしきものを浮かべた。

「これまで『運命』というものに出会ったことはない」

 気負いなく伯夜は言った。
 チョウリョウの民は『運命』の出会いを体験するという。
 一生に一度の愛を誓うような存在に出会うという。
 メイワはすでに、その『運命』と出会っている。
 おそらく主君である十六夜公主も、『運命』を手にしている。
「いつか、お会いできますわよ」
 メイワは言った。
「そうだな」


 運命の出会いまで、あと少し。
 伯夜は父の反対を押し切り、最愛の女性を妻に迎えることとなる。
 そして、メイワも初めの約束どおり、運命を手に入れるのだった。

 ソウヨウ南城時代の、鷲居城での一日。
 再会前の話です。
 メイワさんは家柄のせいで、けっこう結婚相手候補がいたりした。
 コウレツ、ホウスウの辺りも、候補だったりもした。
 が、その3人が政略結婚する気がなかったために、縁談にならなかった。


 ちなみに棋(囲碁)の腕前は、ホウチョウがグンッと上です。
 ホウスウは本気でやる気が最初からないので、ノーカウント*1
 でも、そんなホウチョウもメイワと、のんびりと打っていると調子が狂うので、買ったり、負けたり。
 ソウヨウはホウチョウに負けます。
 舞い上がってしまうので。冷静になれば勝率は変わるはずなんですが……。

*1:さりげ、ホウスウは興味のない方向は努力しません