並木空の記憶録

「紅の空」の管理人2の備忘録

 シ・ソウヨウが南城で将軍になったばかりのころ。
 副官になったモウキンとの一幕。

  『シャオ』


「どうしましたか?」
 副官の声で、ソウヨウは我に返る。
「いえ、何でもありません」
 十四歳の将軍は、微笑を浮かべた。
 心配げな副官にソウヨウは「何でもありません」と念を押す。
 それから卓に飾られた花瓶に目を移す。
 鴛鴦が生き生きと描かれた大きな花瓶には、真っ白な花薔薇が活けられている。
 今年、初めて咲いた白の花薔薇だろう。
 薄絹を重ねたような花弁は美しく、ふれれば散ってしまいそうだった。
「朝と夕では活けてある花が違うというのは贅沢ですね」
 ソウヨウは言った。
 部屋を出る前に飾られていた花は小さな百合の花だった。
「薔薇はお嫌いですか?」
 モウキンが尋ねる。
「好きですよ」
 ソウヨウは微笑みながら椅子に腰かけた。
「一番、好きな花です。
 だから、この花瓶の中身は変わってしまったのですか?
 将軍というのは凄い地位ですね」
 クスクスと少年は笑った。
 壮年の副官は困ったような表情で、部屋の位置口近くで控えている。
「『ありがとう』と、伝えてください。
 花を活けた方に」
「かしこまりました」
 モウキンはうなずく。
「花はみな綺麗なものですが、花薔薇は格別ですね」
 ソウヨウはささやいた。
 どの花も同じ。時期が来れば咲いて、散って、土に還る。
 けれども、花薔薇だけは別だ。
 咲けば嬉しいと思う。
 それは少女が喜んでいたからだ。
 散れば悲しいと思う。
 それは少女が寂しがったからだ。
 今は……ずいぶんと遠く離れてしまった。
 二つ歳上の少女がいる場所では、まだ花薔薇は咲いていないだろう。
「白が良いですね」
 赤でもなく、黄でもなく、薄紅でもない。
 真っ白な薔薇。
 少女が好んだのは秋に色を深くする橙色の花薔薇であったけれど。
 ソウヨウが少女に贈るのなら、真っ白な花薔薇にするだろう。
 一点の穢れもない、純白。

    『シャオ』

 想い出が、もう一度呼ぶ。
 どんな弦楽器でも敵わないほど、美しい声が呼ぶ。
 返事は、喉で殺される。
 花瓶に活けられた花薔薇は続きを告げることはない。
 知っていたから、少年は微笑むに留まる。
「綺麗な花ですね」
 ソウヨウは呟いた。
 思い出してしまうほど、綺麗な花だと感じた。
 不思議と涙は零れない。
 普通の人間であれば泣くようなところなのだろう。
 そう考えるのに、ソウヨウの目は乾いていた。
 奇妙さを覚えながら、少年は副官に言った。
「私の部屋の花瓶に活ける花は、花薔薇に。
 花が咲いている時期は、毎日花を活けてくださると嬉しく思います」
 思い出すのは不快ではない。
 少女と、つながっているのだと感じられるから。
 次に会うことができなくても、思い出をくりかえすことはできるから。
 だから花薔薇が良い。
 花薔薇だけが良い。
 ソウヨウは思った。