並木空の記憶録

「紅の空」の管理人2の備忘録

見果てぬ夢

 メイワ視点で、ホウチョウとの会話。
 建平三年以降です。

「ねえ、メイワ」
 女主人は真剣な瞳で尋ねる。
 赤瑪瑙のような美しい双眸に見据えられると、何もかもを話してしまいたくなる、と言ったのは遠い過去の人。
 破邪の姫君の異名を持つ乙女は言う。
「メイワは伯俊と結婚して、後悔している?」
 ホウチョウの問いに、メイワは手を休める。
 文様と呼ぶには、まだ足りない刺繍に目を留めて、笑みを浮かべる。
 退屈な針仕事も話し相手がいれば、楽しい時間になる。
 メイワは城に上がってから、退屈を覚えたことはなかった。
「姫は、白厳殿に嫁ぐことを後悔なさいますか?」
「いいえ」
 ホウチョウはきっぱりと言った。
 その手元には、深い藍染めの布があった。
 絹織物に、大胆な線だけになった鷹が空を舞う文様が浮かび上がっている。
 緑の瞳を持つ大司馬に似合う色と紋だろう。
「初めから決まっていることに、後悔なんてしないわ」
 エイハンの血を引く乙女は、未来を見知っているかのように言う。
 初めから決まっていた。
 そう言い切る強さは誰もが持つものではない。
 運命は傷つきやすく、約束はもっと壊れやすい。
 肩を並べて笑いあった友人が、明日にはいないということも不思議ではない。
「メイワは後悔している?」
 同じ問いをくりかえす。
 正直に答えなければいけないことに、メイワは苦笑した。
「していますわ」
 ほどなく夫の耳に入り、若き将軍は軽い失望を覚えるかもしれない。
 どこかで「そうであって欲しい」と願う贅沢な自分がいる。
 予想通りと平然とされたのでは、つかみどころがなくなってしまう。
「結婚しても一番になれませんでした。
 それが……少しばかり悔しいですわ」
 夫が最優先にするのは、メイワではない。
 その事実が寂しい。
 知っていたことだし、理解していたことだった。
 だから「少しばかり」悔しいのだ。
 深い落胆はない。
「伯俊の一番はメイワじゃないの?」
 赤瑪瑙の瞳を瞬かせ、ホウチョウが尋ねる。
「ええ、一番じゃありません」
「メイワは怒らないの?」
「形がありませんもの」
「どういうことかしら?」
 ホウチョウが小首をかしげる。
「見果てぬ夢には、形がありません」
 メイワは言った。
 夢を追いかけ続けている人の一番にはなれない。
 よく知っていたことだし、よく理解していたことだった。
「その夢は終わるのかしら?」
 乙女は純粋に問いを重ねる。
「終わらないから、見果てぬ夢なのですわ。
 新しい夢が次から次へと生まれますもの」
「伯俊はそういう人間のようには見えなかったわ。
 まるで父様たちのようね」
「そうですわね」
 メイワは笑みを浮かべたまま、うなずいた。
 夢の叶う瞬間を間近に見てしまうと、そこから逃げ出すことができなくなるのだろう。
 見果てぬ夢を追いかけ続けることになるのだろう。
 メイワ自身もそうなのだから、夫ばかりを責めることはできない。
 奇跡のような恋を終わりまで見届けたい。
 そう思っている。
 全身全霊で思われることを。
 同じ強さで思い返すことを。
 そんな奇跡のようなことを。
 当たり前だと思っている乙女は微笑む。
「メイワは幸せ?」
「はい。とても」
 メイワは断言した。
 一番にはなれなかったけれど、幸せになった。
 願いのすべては叶わないけれど、祈りのすべては無駄ではないことを知って。
 思うだけではなく、思い返されることを味わって。
 信じることができて。
 幸せになった。
「そう、良かったわ」
 気になっていたの、と乙女は言った。
「ありがとうございます」
 メイワは言った。

 袖を通す人のことを思って、続ける針仕事に苦痛はない。
 何より話し相手がいる。
 退屈を覚える暇などなかった。