並木空の記憶録

「紅の空」の管理人2の備忘録

6月の雨の幻影が彼女を作った

pixiv投稿企画にも投稿。

 現代もの実験的小説『人の影』(完結済み)
 ※社会的意味や虐待やハラスメントなどの意味でR-15作品


 総目次ページ
 http://one.chips.jp/k-sora/s-shadow.html


 最終話から見れば、過去軸です。
 サイト『紅の空』での扱いは『番外編』ですね。
 《黄昏》視点なので最終話近くまでのネタバレが含まれています。

「いつまで、そうしている気だ?」
 青年は尋ねた。
 エスペラント語で彼女という意味を名乗る《shi》は毎年の恒例行事のように、窓際にいた。
 出会ってから変わっていない行動パターンだった。
 雨が降る度に窓際に座りこんで、無言で耳を傾ける。
 聞いているようで聞いていない。
 見ているようで見ていない。
 世間というものは《shi》にとっては不条理であり、理不尽だった。
 似ているようで似ていない淡い虹彩は無言でグレーの空を見つめ続ける。
 それは憧憬だろうか。
 西の彼方にある浄土を願うものだろうか。
 海の底にある竜宮城を探すものだろうか。
 海の向こうにあるニライカナイを求めるものだろうか。
 どちらにしろ、生きていきたくない、という意思の表明だった。
 鮮やかな緑のビーズやリボンステッチされたオーガンジーの化繊のカーテンが微風で揺れていた。
 湿度が高すぎて、爽やかさとは程遠かった。
 エアコンの除湿でも入れればいいのに、《shi》は座りこんで無言で空を見上げている。
「もう、雨なら止んだぞ」
 青年は言った。
 ようやく小さな頭が動いた。
 淡い虹彩が青年を見上げて
「止まない雨はない。
 当たり前のことだろう」
 《shi》は感情の乗らない声で言った。
 綺麗なソプラノボイスだというのに機械じみていて、音声合成ソフトのマシだと思うほど淡々としている。
「ああ、明けない夜がないようにな」
 青年は言った。
「The night is long that never finds the day.
 シェイクスピアの『マクベス』だな。
 《黄昏》が言うと皮肉に聞こえるのは気のせいか?
 本当に夜明けが待ち遠しいのか?」
 《shi》は無表情のまま言った。
 声にも顔にも感情が欠落しているのはいつものことだった。
 そうしなければ《shi》は社会の中で生きていけないのだから。
 そう仕向けたのは《黄昏》と呼ばれた青年が責任の一端どころか、ほとんどが占めているだろう。
 知識のなかった《shi》が白い錠剤を飲み続けるような人生を歩ませる第一歩を作ったのは青年だったのだ。
「雨が止んだから晩飯の誘いに来たんだ。
 独りで食べても味気ないからな」
 青年は言った。
「誘い?
 てっきり手作り料理が恋しいのかと思っていたのだが、違ったのか」
 《shi》は言った。
「この状態で作らせるような鬼畜だと思っていたのか。
 どうせまともに食事をしていないんだろう?
 奢ってやる」
 青年は言う。
 雨が降れば食事どころから、水分を一滴も摂らない。
 《shi》の変わらない悪癖だった。
 どの季節であってもくりかえすが6月の雨が一番、性質が悪い。
 梅雨時だからではない。
 今の《shi》を作り出した幻影を《shi》が追いかけているからだ。
「気前がいいな。
 報酬の先払いとは、どんな面倒な問題を持ちかけるつもりだ?
 先に明確に提示しておくべきだろう」
 《shi》は事務的に言った。
 男が女を晩飯に誘った、というだけでこの態度だ。
 お互いに賃貸契約を結んでいる家の合鍵を所有している状態、という関係性であっても、《shi》の価値観は頑なだった。
 実行に移してもかまわない状態というのなら、青年が合鍵を所有して、その合鍵を使って家に上がり込んだ時点で警戒をするべきだろう。
 《shi》にはまったくその気がないことがわかる。
「独りで食べたくない気分だ、と言っただろう?」
 青年はためいき混じりに言った。
「実家に帰ればいい。
 《黄昏》にとっても、さほどの距離ではないだろう。
 やや遅めの時間だが、実の両親だ。
 一人分、増えたところで快く用意してくれるだろう」
 《shi》は言った。
「なんで、実家に帰らないといけないんだ。
 俺は《shi》を誘いに来たんだ。
 お前が一緒に飯を食べてくれれば、それが報酬だ」
 青年は断言した。
「私には理解ができない理論だが、《黄昏》がそういうのなら、そうなのであろう。
 支度をする」
 《shi》はようやく窓際から離れ、立ち上がった。
 部屋着の《shi》は気にも止めずにクローゼットに近づく。
 目の前に異性がいてもこの調子だ。
 今更取り繕う気はない。
 必然性を感じていないのだろうが、出会った時ですら問題行動だったのに、今は独り暮らしができるほど大人になったのだ。
 大問題すぎた。
「外で待っている」
 青年は注意をしたところで意味がないのは理解していたので、心の中で愚痴るだけにとどめて、部屋を出た。
 空を見上げればグレーが広がっていた。
 面白みもなく、退屈な色。
 白で黒でもない。
 雨が止んでいるだけの曇り空。
 この季節だ。
 天気予報通りなら、夜更け過ぎには雨が降り出す。
 それは曖昧な現象すぎた。
 雨が降れば《shi》はまた窓辺で時間の経過を独りで眺めているだろう。
 青年は止める権利を持ち合わせていなかった。
 彼女が戸籍上の名前を捨てて《shi》と名乗り続けるように。
 《shi》が青年を《黄昏》と呼び始めてから。
 そんな権利はないのだ。
 すべては曖昧だった。
 《shi》の言葉は青年の本質を見抜いていた。
 本当に夜明けを待っているのだろうか。
 現在が本当に悪い状態で、好転する見込みがあるのだろうか。
 The night is long that never finds the day.
 シェイクスピアが書いた戯曲の『マクベス』。
 その一幕で発せられた一言は言葉遊びから出ない。
 所詮、筋書きのある話なのだ。
 現実世界はそこまで歪曲されていない。
 青年はためいきをかみ殺して、梅雨空を見上げ続けた。

 【小説】6月投稿企画「RainRainRain2024」
 https://www.pixiv.net/artworks/118919390


 本日が『恋人の日』だと知ったので、あわてて投稿。
 話自体はだいぶ前から出てきていたのですが、余裕をもって投稿するつもりでした。
 企画が終わるまでに投稿できればいいかな、って。
 語呂合わせとか、記念日って大切です。

WEB拍手、ありがとうございます!

 パチパチっと拍手、ありがとうございました!!
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