並木空の記憶録

「紅の空」の管理人2の備忘録

Orionid meteor shower(オリオン座流星群)

【人の影】Orionid meteor shower

 出会ったころから《shi》は変わっていない。
 背は伸びて、大人になったはずなのに、いまだ子どものようなことに固執する。
 《shi》は南西から東の方角を見上げ続けている。

 10月21日 深夜

 22日に極大を迎えるオリオン座流星群を見るなら、絶好の天体観測日和だろう。
 天気は晴れ。
 下弦の月で月齢は6.8。
 月の出が翌日であれば、邪魔をするような光源はない。
 ハレー彗星が撒き散らした小さな破片や微粒子が、流星群となり夜空に長く尾を引く。
 ただ、それを肉眼で見ようと思うと骨の折れる作業だろう。
 そして、またこの見上げているオリオン座という星座は数年後にはなくなっているかもしれない。
 冬の大三角形にあげられるオリオン座の一等星のベテルギウスが暗くなったのは有名すぎる話だ。
 オレンジ色の恒星は550年前にすでに爆発しているかもしれない。
 光年という名の当方もない尺度が横たわっている。
 それでもエスペラント語で彼女を意味する名にこだわりつづける《shi》は、熱心に星空を見上げ続ける。
 《shi》には星にかけてまで叶えたい願いがあるのだろうか。
 流星群がある度に、空を見上げる。
 星座早見盤を用意するわけでも、双眼鏡を用意するわけでもなく。
 ただ熱心に星空を見上げ続けるだけだ。
 それは、どこか死を願っているように見える。
 《shi》の星になってしまった両親を探しているように見つめ続けるのだ。
 出会ったころのように、無言で、まるで恋をしているように真っ直ぐに星空を見つめている。
 もしかして、この現実世界は《shi》にとっては不条理なものなのかもしれない。
 息が絶えるまで耐え続けていなければならない地獄のようなものなのかもしれない。
 《shi》は筋書きのあるものを好まない。
 いつだって、どこか作業的なものを求める。
 それはオンラインゲームであったり、刺繡をし続けている白いオーガンジーの化繊のカーテンのように。
 達成度はあれども、仮想現実なんてデータが飛べば終わりだ。
 渡り鳥のように《shi》はオンラインゲームを転々とする。
 トラブルが起きれば激しく拒絶をするのだ。
 いらない、とあっさりと引退をする。
 今までの人間関係が破綻してもかまわない、という風に。
 携帯電話ですらメールアドレスの変更は頻繁だ。
 まるで繋がりを作りたくない、という意識の表れだろうか。
 現実世界を生きていくつもりがないのだろう。
 その証拠に細い腕に増えていく点滴の針の痕。
 メールを出しても返事はこない。
 電話をしても留守番電話サービスにつながる。
 生きているのか確認するのに、合鍵を使って家に上がることも頻繁だ。
 その度に、倒れこんでいる《shi》を見つけて、病院に連れいてくことも珍しくない。
 慢性化していく消極的な自殺。
 自ら命を絶つことはできないから、水すら摂らないという形でくりかえす淡い自殺願望。
 病院の簡易ベッドに横たわる《shi》の寝顔を見続けるのは、慣れた。
 そのために数冊の本を持ち歩くことも増えた。
 病院では携帯電話の使用が禁じられているからだ。
 《shi》が独り暮らしを始めてからも、変わらない行動パターンだ。
 それでも《shi》は星空を見上げる。
 一人でも。
 独りでも。
 冷たい風に吹かれても。
 エスペラント語で彼女と名乗るのに、長い髪以外は女性らしいところはない。
 いつだってユニセックスのような恰好をしている。
 サイズの合わないシャツに、パーカー。
 香水をするわけでもなく、化粧すらしない。
 小柄で細い体だから、どこか大人と子どもの狭間でいるような。
 女性と男性の間にいるようにな。
 言葉遣いも中性的だ。
 現実世界ですらロールしているのかもしれない。
 社会に溶けこむように努力はしているが、それだけだ。
 周囲の期待があるからこそ、裏切れないのだろう。
 そんなものがなかったら、とっくに死を選んでいるだろう。
 無味無臭の白い錠剤の数は減らない。
 初めて病院に連れて行った時よりは減っているが、飲み続けている薬の量は減らない。
 おそらく死ぬまで減らないのだろう。
 断薬されるよりはマシだが、ためいきの原因にはなる。
 《shi》が固執するのは流星群だけだ。
 流れ星だけに求める。
 星明りの中で、ぼんやりと浮かび上がる白い肌と服。
 染色をしたこともなければ、切りそろえる程度にしかしない長い髪は闇夜のように#000000だ。
 完全なモノトーンの世界。
 明度しか持たない無彩色の中に《shi》はいる。
 まるでサイレント映画のネガフィルムを見ているような錯覚に陥りそうになる。
 ふいに《shi》の体がかしいだ。
 冷たい駐車場に倒れこむように、ゆっくりと。
 あわてて片手で抱きとめる。
 嫌になるぐらい軽い体だ。
 腕時計で確認してみれば日付は変わっていた。
 家に出る前に飲ませた就寝前の薬の効果が出てきたのだろう。
 《shi》の体は完全に脱力していた。
 かつて、そうしたように抱き上げる。
 珍しいこともあるものだ。
 限界が近かったとはいえ、そこまで流れ星に固執するものだろうか。
 《shi》はすっかりと夢の中の住人になっていた。
 微かに淡い虹彩はまぶたによって隠されている。
 こちらに今更、警戒心というものがないのだろう。
 完全に寝落ちたようだ。
 ちらりとオリオン座をちらりと見上げる。
 そこに一色線の光が宙を駆け抜けていく。
 《shi》が望んでいたものだ。
 恋焦がれていたものだ。
 だから、代わりに願いをかける。
 《shi》自身が幸福になることを。
 女性として、人間として、最高の終焉が待っていることを。
 オリオン座流星群に流れた星の一つに願いをかけた。
 それはきっと自分自身が渇望するような願いとは重ならないものだろう。
 一番身近な場所で、《shi》が幸福になっていく姿を見送っていくことになるだろう。
 理解していながら、まだ星を探し続ける《shi》の体を運び続ける。
 星空の下で。

 『人の影』から番外編で《黄昏》視点。
 原稿用紙7枚程度。


 若干『人の影』の最終話付近のネタバレを含んでいます*1
 http://one.chips.jp/k-sora/s-shadow.html


 2023年10月22日(日)はオリオン座流星群が極大を迎えます。

いまさらですが『小説家になろう』で『神の印』のSS置き場のページを作成

 作品自体はサイト『紅の空』には置いてあったのですが『小説家になろう』には置いていなかったのでページを作成しました。
 https://ncode.syosetu.com/n8004il/
 これからも不定期にはなると思いますが、転載をしようと思っています。
 先行は『紅の空』になるのでご安心ください。

WEB拍手ありがとうございます

 拍手、ありがとうございました!
 とっても嬉しかったです。

*1:番外編では今更ですが