並木空の記憶録

「紅の空」の管理人2の備忘録

さて、「私」だ。

 ありたいていに言ってしまうと、両氏の作品を読んだことはありません。
 興味がなかったからです。
 ここで興味が湧くような事件が起きたわけですが、やはり購入までいたりません。
 だって、内容が面白くなさそうなんだもん。

そして、感想。

 まず平野氏の文章が長い。文字に飢えている時期だったので美味しくいただいたわけですが、金を出してまで読みたい文章じゃないなぁ、と思いました。
 他の日付の記事も読んで、何だか私とは合わない人だな、と感じました。
 なので、そのような方が書く作品は、高尚で、もっと私には合わないんだろうな、と思いました。
 ブログは本にとって著作者による「後書き」と同じだと思うのです。
 「後書き」を読んで面白くない作品は、本文も(私にとって)面白くないことが多いのです。
 平野氏を好きな方、気を悪くしないでください。
 私は「興味がない」だけで、あなたの気持ちを否定したわけではありません。そのままファンでい続けてください。もしかすると、私もいつかそちらの仲間入りするかもしれません。


 これから平野氏には「はてな」ユーザーとして意見をばら撒いていって欲しい。面白そうだから。そんな期待をしています。

パクリと盗作

 パクリって言葉が悪ければ、下敷き。古典風なら換骨堕胎。
 古今東西の文章にふれ、できることなら「文学」以外を読み、知識の幅を広げ、執筆するのは、文字に携わる人間であれば当然の行為。
 読まれた作品は、作者の肉となり、力となる。
 影響を受けすぎて劣化コピーになっているものに、出会ってしまうと悲しくなるけれど、多くの書き手はそれを乗り越え、影響を受けながら、自分らしい文章を確立していくわけです。
 その作業は筆を折るor死ぬまで続くわけです。
 日本の古典文学*1が好きな私にとって、パクリは日常茶飯事に見えてしまい、やや倫理観がゆるいようです。
 そんな「ゆるゆる」な人間から見ると、6年前から続く騒動は「大変だなぁ。窮屈だ」という感想が湧くのです。

*1:新古今なんて、パクリも良いところだと思うんだけど。「本歌取り」をどうするんだよ。さらに言うなら、平安文学は、中国の影響をもろ被ってるからなぁ