ありたいていに言ってしまうと、両氏の作品を読んだことはありません。
興味がなかったからです。
ここで興味が湧くような事件が起きたわけですが、やはり購入までいたりません。
だって、内容が面白くなさそうなんだもん。
そして、感想。
まず平野氏の文章が長い。文字に飢えている時期だったので美味しくいただいたわけですが、金を出してまで読みたい文章じゃないなぁ、と思いました。
他の日付の記事も読んで、何だか私とは合わない人だな、と感じました。
なので、そのような方が書く作品は、高尚で、もっと私には合わないんだろうな、と思いました。
ブログは本にとって著作者による「後書き」と同じだと思うのです。
「後書き」を読んで面白くない作品は、本文も(私にとって)面白くないことが多いのです。
平野氏を好きな方、気を悪くしないでください。
私は「興味がない」だけで、あなたの気持ちを否定したわけではありません。そのままファンでい続けてください。もしかすると、私もいつかそちらの仲間入りするかもしれません。
これから平野氏には「はてな」ユーザーとして意見をばら撒いていって欲しい。面白そうだから。そんな期待をしています。
パクリと盗作
パクリって言葉が悪ければ、下敷き。古典風なら換骨堕胎。
古今東西の文章にふれ、できることなら「文学」以外を読み、知識の幅を広げ、執筆するのは、文字に携わる人間であれば当然の行為。
読まれた作品は、作者の肉となり、力となる。
影響を受けすぎて劣化コピーになっているものに、出会ってしまうと悲しくなるけれど、多くの書き手はそれを乗り越え、影響を受けながら、自分らしい文章を確立していくわけです。
その作業は筆を折るor死ぬまで続くわけです。
日本の古典文学*1が好きな私にとって、パクリは日常茶飯事に見えてしまい、やや倫理観がゆるいようです。
そんな「ゆるゆる」な人間から見ると、6年前から続く騒動は「大変だなぁ。窮屈だ」という感想が湧くのです。