並木空の記憶録

「紅の空」の管理人2の備忘録

《shi》beaming smile*1


 晴れた日でも雨の降る日でも、私の生活は変化がない。朝起きてレースのカーテンを開けて、空を見上げる。その先の空が何色をしていても、私の生活には変化しない。それはレースのカーテンが緑色をしているのと同程度に、不変なのだ。
 テーブルの上で携帯電話が鳴る。
 アラームだ。
 私は手を伸ばす。携帯電話につけられたストラップが揺れる。それを私の目が追いかける。
 ……何となくだ。
 真新しい携帯電話のストラップにまだ慣れない。来年の今頃には慣れているかもしれないが、その前に携帯電話のデザインが変わっている可能性のほうが大きい。各社の努力の結晶ともいえる携帯電話であったが、落下や水没といった事故には弱い。
 アラームが鳴り続ける。朝を告げる音だ。
 私は携帯電話を操作して、アラームを止める。
 液晶画面の左端に、この地域の今日の天気が提供されていた。過多ともいえる情報量だったが、私は笑ったのだ、と思う。鏡を見ていないので正確なことはわからないが『嬉しい』と感じた。
 晴れた日でも雨の降る日でも、私の生活には変化がない。
 空の色ならすでに知っている。レースのカーテンが揺れる先にあるのは晴れを約束する色の空だ。
 私はメールを打つ。
 『今日は晴れるらしい』
 どんな天気であっても、私の生活は変わらない。朝起きてレースのカーテンを開ける。

 12月14日。

 私はいつもと違う行動を起こした。
 携帯電話でEメールを送る。光の速さでそれは彼の携帯電話に届いたことだろう。空の色はまだ『朝』を迎えていない。眠る《黄昏》のもとへ、私のメールは届くのだろう。私以上、彼は今日の天気に詳しいだろう。週間予報が出る頃には情報収集を始めていたことだろう。
 それでも、私は知らせたかったのだ。
 今日が晴れるということを。
 我儘で、身勝手で、配慮の足りない行動だったが、私は後悔していない。むしろ、善行を行ったときのように、満ち足りた気分になった。赤い羽根共同募金に1枚の銅貨を入れるときと同じだ。
 握ったままの携帯電話が鳴った。
 アラームではない。
 私は予想外の音に驚いた。が、考えてみる。そもそも携帯電話というのは予期せぬときに鳴り出すものだ。唐突に携帯電話が鳴るのは自然なことである。
 液晶画面はEメールが来たことを通知する。
 私はEメールを開く。容量の少ない、軽いデータが存在していた。
  『おはよう』
 四文字しかなかった。全角。たった8バイトしかない。

 私の生活には変化が少ない。晴れた日でも雨が降った日でも同じだ。
 それでも12月14日。いつもと違うことが起きた。自分から行動を起こしたからだ。
 私は、私は……それがとても幸せだと感じた。