「緑がないなぁ」 口に出してからくだらないことを言ったと思う。 灰色のビルディングを見た瞬間に感じた無気力は、腹の底から這い出てきた。 都会の空は、ビルの色をしていると話には聞いたが、景色の全てが灰色をしているとは思っても見なかった。 風の色まで濁っている。 「街路樹ならあるけど?」 隣で同じようなボストンバックを抱えた幼なじみが言う。 意志が強いというか、何というか。 鋼の神経を持っている幼なじみの表情は“楽しげ”だった。 この大都市を“砂漠”とたとえた古い歌があったけれど、今はそれ以上に砂漠化が進んでいるようだった。 お義理のように植えられた街路樹は、排気ガスにやられて葉が痩せている。 枝も見栄えの良いように切られて、病人のような緑だった。 一気にホームシックになった。 「帰りてぇ」 「来て速攻言わない!」 腰に手を当て、ビシッと指差す幼なじみ。 実にアニメ的なポーズだった。 装備としては委員長眼鏡が足りない。 黒縁のやや細長のフレームを形の良い鼻に乗せてやれば、完璧だ。 セーラーかブレザーか悩むところだが 「拓くん。何、考えてるの?」 「萌えについて」 「はぁ?」 「愛海に足りないのは、眼鏡だと思ったしだいなのですよ」 「悪いけど、視力は両目とも2.0。 将来、老眼鏡のお世話になったとしても、近眼用の眼鏡にお世話になる予定はないんだけど? それに、そういうありきたりな趣味はないんだけど?」 ご丁寧に、軽蔑しきった眼差しを向けてくれる。 幼なじみの愛海はボリュームが足りないもののスタイルも良いし、顔立ちはちょっときつめなところがあって、実に委員長タイプなのだ。 今の流行だったら“ツンデレ”でも良いだろう。 ご自慢の長い髪をツーテールにして、ミニスカにニーソックス。 「もったいねぇー。 文化の損失だよ」 「さ、叔父さん家行くよ」 落ち着いたベージュの大きなバックを抱えなおして、愛海は言う。 気の利いた男ではない拓也は、間違っても「持ってやろうか?」なんて言わない。 隣人として長年暮らしても女という生き物は、謎めく生態をしているのだ。 都会に住む親戚の家に3日ほどご厄介になるだけだというのに、ヒマラヤの奥地に立ち向かうほどの荷造りをするのだ。 2人のバックは全く同じメーカーで、色違いなのだが、その総重量には大きな隔たりがあるはずだ。 行きの電車の中で、遠心力を効かしたアタックをいただいた拓也にはわかる。 人を撲殺できそうな勢いで、あのバックの中に荷物が入っている。 実はナイショで、金床を入れてきたと幼なじみから聞かされても、拓也は信じられる。 いや、そうに違いないと、今や確信にも近い思いを感じている。 「帰っても良いすっか、愛海様」 「本気で言ってるの?」 「半分、本気ですよ」 「最悪。半分も本気だなんて。 お母さん説得するの大変だったからね。 ようやくアンタっていう条件付で、許可ができたのに、肝心のアンタが一人だけ帰ってどうすんのよ! それに拓くんだって、ちょっとは興味があるんでしょ? こっちにいる間に、メイド喫茶だろうと、秋葉原だろうと行けば良いじゃない。 田舎にはないわよ」 公衆の面前で、きわどい単語を連発してくれる。 出勤途中の会社員が道行くのだ。 聞かれたらどうするつもりだ――と思ったが、雑踏はおのぼりさんの2人には興味はないようだった。 それでも声が小さくなる。 「別にメイドに興味あるわけじゃなくって」 「アンタの二次元の話は聞き飽きた。 こう見えても理解あるから、安心して。小母さまには言いつけたりしないから」 「そうじゃなくって……。 今回の旅行さ。全然、観光しないじゃん。だからさ……」 クラスメイトに自慢できるような場所に行っておきたい。 家族に対してのアリバイも作らないとならない。 「池袋*1行くし、神保町*2だって行くけど?」 「ほら、もっと遊べる……遊園地とか」 「安心して。東京ドームシティ*3は行くつもりだから」 愛海は楽しそうに言う。 「潤いってもんが」 「そんなの拓くんが好きな二次元の女の子たちに求めなさいよ。 癒し系とか、ドジっ子とか、清楚なお嬢様系とか、より取り見取り。 ほら、行くわよ」 そう言うと愛海は歩き出した。 拓也はその後をスゴスゴとついていくのだった。 どうにも、この幼なじみには頭が上がらない。 ゲームであれば攻略もできそうだが、現実ではそうはならない。 リセットはできないのだから。